SORAGOTO

いつ、わたしが終わってもいいように。頭と心を言葉にしておく。

19年と5ヶ月

2004年6月13日、午前4時。

数週間かけて作ったテキストファイルをアップロードした瞬間の、夜明け前の空気をいまも覚えている。PCが発する熱のせいだったかもしれないし、自分自身の高まりのせいだったかもしれない。窓から流れ込んでくる外気はすこし肌寒かったけれど、机にのせたわたしの腕はじっとりと汗ばんでいた。

PC画面にはわたしがタグ打ちして作ったフレームタイプの個人サイト。最初は背景色が淡クリーム色だったように思う。お気に入りの空の写真、推敲もなにもしないでそのままアップしたTFへのリンク、そして水色で書かれた「border-SKY」というサイト名。

それが自分のサイトを持った瞬間だった。

 

あれから19年。わたしは会社員からフリーターになり、結婚をし、母を見送り、当時からは思いもよらない場所にいる。そのとき思っていたよりずっとたくさんのお話を書き、憧れだったWEB企画に参加させていただき、同人誌まで作ったりもした。当初の想像をこえる、とても多くの方がサイトや本を通してお話に触れていただけたことを、あのころの午前4時のわたしに話して、はたして信じてもらえるだろうか。……いや、むりだな。わたしにはその自信はない。

 

***

 

この場所に何度も救われてきました。書くことで、読んでもらうことで、ただそこに在るだけで。

ただ19年という歳月はやはり長く、利用していたサービスの終了や、技術の進歩など、運営するのが年々困難になってきていることも事実で、その都度サイトを簡素化したり、できる範囲で対応するなどしてきました。

けれど、終わりにします。

 

「border-SKY」は2023年11月27日をもって閉鎖します。

 

これまで本当にありがとうございました。本当に、本当に、ありがとうございました。どんなに言葉を重ねても足りないほど、感謝の気持ちでいっぱいです。

いただいたお言葉をはじめ、すべての思い出はわたしの宝物です。わたしの人生にこの場所があって本当によかった。ありがとうございます。

 

サイトは終わってしまいますが、書くことを終えるつもりはありません。終えられる気もしていません。なので、このブログとカクヨムはこれまでとおなじように運用していきますし、告知や交流でツイッターも活用していきます。

どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

 

閉じてしまうまでの数ヶ月、せめてなにかお届けできないかと、いま水面下でもぞもぞと書き物をしています。間に合うかどうかわかりませんが、ふと思い出したときなどに覗いてみてやってください。

 

***

 

梅雨時期の仕事終わり。雨上がりの重たげな雲間から細く覗く、思いのほか明るい空。名刺入れを買いに梅田へ向かって土佐堀川を渡ったときの景色と風をわたしはきっと忘れない。

どうも、あのとき救っていただいたJK(当時)です

鶴の恩返しがわりと好きだと最近気づいた。

こう言うと、傷ついた鶴を助けるやさしさや、そのお礼に訪れる鶴の律儀さなどが理由と思われるかもしれないけれど、そうではなく、覗くなと言われながらどうしても我慢できずに覗いてしまうというその一点にそこはかとなく惹かれてしまう。

約束したのに……、悪いことだとわかってるのに……、ちょっとだけ……いやもうほんまにちょっとだけやから……、そんなことを思いながらそっと戸をひらくその背徳感及び高揚感たるや。

すきだ。

思うに、恩返しというのは勝手なものなのだろう。だから約束をやぶって覗いてしまったけれどとんでもない罰を喰らうわけでもない、ただ少しはやい別れが訪れてしまうだけに終わる。むしろダラダラ恩返しするよりも美しいとさえ感じられる。

 

わたしも恩返しをしたい先生がいた。

過去形で書いてしまうとまるで不幸があったように思われるかもしれないけれど、その方はいまも精力的にお仕事をしていらっしゃって、ときどきそれをSNSでこっそり覗いたりしている。

 

話は前世紀にさかのぼる。

まだ命知らずなJKだったころ、出会って間もない友人から本を借りた。「炎の蜃気楼」(以下ミラージュ)1巻~5巻。好きそうだから、という理由でほとんどなんの脈絡もなく返却もいつでもいいよと渡された。さいわい、わたしの鞄はいつだってすかすかだったので問題なく5冊とも持ち帰ることができた。

友人ははたしてわたしの何をどう見ていたのかわからないけれど、(あとから訊ねてもとても強い直感ということだったし、つい最近も問うてみたらそもそもわたしが貸したんだっけ?とすっかり忘れていた。謎は謎のまま……。)わたしは休みのあいだにすっかり読み終えてしまって、月曜日にまた5冊まとめて鞄に詰め込んだ。

めちゃくちゃ面白かった!貸してくれてありがとう!今日の帰りにでも続き買いに行くよ!と本を返そうとすると、手でこちらへ押しやられる。そんなに面白かったなら、どうか持っていてよ、そのほうがきっと本も喜ぶから。その代わり続き、貸してくれる?

すきだ。貸すよ。

(わたしが書くとどうも友人が悪女のようになってしまうなあ。まったく対極にいる子なのになあ。)

そんな出会いの結果、わたしはミラージュを本編完結、そして昭和編完結による「環結」まで見届けることになった。

 

それまでわたしの頭には、小説というのは読んだ人の心に正しさを示す、どこか窮屈なものだという認識があった。

教科書に載っている小説も、推薦図書として紹介されている本も、どれもこれも「子どもというものはこういった努力と友情を愛し、溌剌としているべきものである」と促してくるような作品ばかりだった。大人にも事情があるだろうからそれらに良し悪しを言いたいわけではないけれど、なぜか小説だけは当時のわたしの心に寄り添ってくれるものには出会えなかった。小説はつまらない。それがわたしの体験から導き出された答えだった。(小説を読まない一方、漫画やドラマや映画には子どものころからよく触れていた。)

ただ神話は大好きだった。救いも暴力も、好意も憎しみも、おなじ地平で語ってくれる、そのことがわたしには心地よかったのだと思う。小学校の図書室に特にお気に入りの12星座神話のシリーズがあり、それを何度も何度も繰り返し借りて読んだ。出てくるのはみんな神様なのに、教科書で読む小説の登場人物より、ずっとずっと人間くさくて近しく感じていた。

けれど小学校を卒業してすっかり縁遠くなり、中学生のときにルブランの「奇厳城」で足首を掴まれたこともあったけれど、やはり小説はどこか四角四面の融通の利かないくそ面白くないものと分類されていた。

 

ミラージュがどういった物語なのか、詳細は割愛する。おそらくBLと認識されてるだろうと思うし、それをあえて否定しようとも思わない。往々にしてこういう認識というのは的確だったりする。ただこの作品がスタートしたころにはまだBLという言葉がなかったので、現代のBLという言葉がどれほど当てはまるのかはわからない。なのでミラージュにおけるBLの部分をとても乱暴に説明すると、二人の男が400年ものあいだ輪廻転生をしながら延々マウンティングをしあう物語、となる。

作中は人と人とのわかりあえなさ、心の裡のままならなさに満ちている。

愛と憎しみは表裏一体というけれど、表と裏に棲み分けることすらできないまだら模様の感情。衝突を避け、かたちを繕った愛でおさまりのよい関係を築くことだってできたはずなのに、断じてそれを選ばず、互いの本心をどこまでも突き詰めていく(そして時には突き詰めることから逃げたり追いかけたり傷つけあったり喪失したりする)さまは、どこまでも人間の欲や業や弱さにまみれていて、醜くて、うつくしかった。

 

どこをどう切り取ってもこの物語の登場人物が置かれた状況は特殊で、わたしの日常生活とは1ミリも掠らず、少女小説レーベルなのにやがて少女はひとりも登場しなくなるような物語なのに、読み進めるうち、わたしは自分が救われていくのを感じていた。当然自分でも困惑した。もはや混乱に近かった。わけがわからない。他人の肉体を乗っ取って生き永らえる罪深さも、死んでまで魂を酷使される息苦しさも、それまでの記憶をすべて失くしたって言ってるのにやたら過去の話をしてくる部下の粘着も、どれも想像の先の先のことなのに、正しさだけでは救われない、愛しているから傷つけて憎らしいから優しくするような心と行動の不一致も、どんな感情だってあなただけのものだよと許されているような心地になった。いまならこれがいわゆるカタルシスだとわかる。けれど当時はそういった言葉も概念も知らず、よくわからないまま号泣し続けた。

わたしは中学1年生のころから小説めいたものを書いていたけれど、ミラージュに出会ってからはすっかり書き口が変わった。もっと具体的にいうと、書いてはいけないものが無くなった。どんなに心無い言葉も、自分勝手な行動も、躊躇なく書くようになった。わたしのなかで小説が血肉を得たのだった。それがとても嬉しかった。この喜びを何度も文字にしてミラージュの著者先生へ伝えようと思ったけれど、あまりにも個人的な話なので気が引けてしまった。せめて大好きだと、読んだばかりの瑞々しい気持ちをしたためても良かったと思うけれど、それが出来なかったこともまたそれなりに良い思い出のように感じている。

 

自分で書いたものを初めて公募に出したのはそれから少しあとのことになる。クレイジーにも高3の夏の締め切りにあわせて書いた気がする。出した先はミラージュを刊行しているレーベルだった。今ほどではないけれど、やがてライトノベルと呼ばれるレーベルは他にもあった。それでもわたしは迷わずそのレーベルへ投稿したし、その後も本命の投稿先はいつだってそこだった。

ミラージュを出していたレーベルだから。それは確かにそう。最初の一度はそれだけだった。けれど10年経ってから再び公募を始めたとき、それだけではわたしの心のすべてを言い表せていないことに気づいた。

初めて出したときよりも、ずっとずっと、最終選考に残りたいと思っている自分がいた。賞をもらえたら何より嬉しい。小説を書いていることに格好がつく。けれどそれよりもっと明確な心でわたしは最終選考に残りたかった。なぜなら、選考委員に先生の名前があったからだ。

先生に読んでほしかった。あなたからもらった小説の命はこんなふうになりましたと伝えたかった。あなたのおかげでわたしは「わたし」に出会うことができました、ここまで生きてこられました、ありがとうございます、と。

残念ながらわたしの最高記録は4次落ち。最終まで一歩届かなかった。選評を見れば評価は悪くなかったけれど、どうやら商業としては弱かったようで。……そりゃあまあ、そうだ。賞をとるために血の滲むような努力や工夫をしているほかの作品に勝てるわけがない。だってみんなだってきっと小説に救われたから小説を愛して、それを生み出そうとしている。恩返ししたいのはわたしだけじゃない。それでもどうにかそこまで残れたのは、読んでほしいという気持ちがどうにかこうにか筆に込められていたからかな。そうだといいな。

 

先生は前回だか前々回だかに選考委員を終えられた。それを知って、わたしは公募のことをほとんど考えなくなった。去年WEBのコンテストに出してすっかり疲れてしまって、これなら従来の公募のほうがずっと精神的に楽だなあと思ったけれど、具体的にどこにどんなものを出そうか、ということには考えが及ばなかった。

これからもお祭り的にWEBコンテストへ参加することはあっても、よほどのことがない限り精力的に公募活動をすることはもうないと思う。見ず知らずの人がひとり、真剣にわたしの作品を読んでくれるとても貴重な機会ではあるけれど、いまはそれよりも書きたい物を書いていたい。まとまりとか、枚数とか、締め切りとか、あぁ……あと結果とか、そういうものと無縁なものを書くことが、すくなくともいまは後悔のない物書き人生に繋がると感じている。

 

いのちの恩人の家へ辿り着けた鶴は幸運だったのだろうな。わたしは自分の力不足でそこへ到ることはできなかったけれど、もらった命の価値は変わらないし、その幸福はかけがえのないものだから、「みて、みて」とご機嫌にスケッチブックを掲げる子どものようにこれからも楽しく(そしておなじだけ苦しみながら)小説を書いていきたい。

今後の目標

大それた記事タイトルをつけてしまったものだと、書き始めから後悔している。今後だとか、目標だとか、そんな大仰な話にはなりそうもない。

ただ、この10年悩んだすえに決めたことがあるので、書き留めておきたいと思った。

 

わたしには、子どものころから書いている物語がある。3部構成のとても長い物語で、いわゆる異世界ファンタジーもの。もうかれこれ30年近くの付き合いになると思う。

作り始めたきっかけは、友達から「一緒にお話を作らないか」と誘われたことだった。一緒に作る人がいれば、商業誌に載っている漫画の話をするように自分たちの物語のことを語り合える。だとしたらそんなに楽しいことはない。物語を作る孤独にうっすら気づき始めていたわたしは、その誘いにすぐにのった。

わたしが文章を書いて、友達が漫画にした。こんな設定はどうだろう、ここはこうしたほうがいい(いまの表現にすると萌えるとかエモいとかになる)、というような話し合いを重ねて数話を作った。

けれどそれも高校進学で途絶えてしまった。友達とは連絡をとっていたし、たまに遊んでいた(し、なんならいまでも繋がっている)けれど、物語の続きを一緒に考えることはなくなり、高2になるころには物語はわたしに託された。

 

……というのが、わたしがサイトで公開している「THE FATES」(以下TF)というお話のそもそもの在りよう。

 

このTF、いくつか段階がある。

漫画にしたのは1部3章のあたりまで。以降はわたしが小説にしていて、高校を卒業するころには1部12章(&過去編)くらいまで書いていた。大学生のころはほとんどまともに小説を書かなかったのでひとつも進まず、社会人になってふとしたきっかけでホームページを作ったので小説を載せるようになった。1部を完結させながら、序盤から12章までを改稿したりもした。2部は完結させるまで6年かかった。終わってみると1部の倍近くものボリュームになり震えた。

つまり漫画だった一段階目、改稿前の若さが残る二段階目、現在サイトで公開している三段階目があり、わたしはいまここに四段階目を足そうとしている。

 

話は2部を書き終えたころにさかのぼる。

当然わたしは3部についての考えを巡らせていた。ここまでの伏線をどう回収するか、どういった展開を持ってくるか、ああすればきっと楽しい、この人にはこうなってほしいなどなど、さまざまなイメージが膨らんでいた。……が、終わり方だけがいっこうに見えなかった。どう辿り着くのだろうかと物語の行方のVTRを頭のなかで何度も流してみるけれど、ラストはモノクロの砂嵐に飲みこまれてしまう。よくよく考えてみれば、このお話は(登場人物たち、とくに主人公にとって)いったい何を目指した物語なのかという、根本的な核の部分がいっさい提示されていないことに気づいた。

なるほど、どこにも着地できないはずだな……。

 

物語を作り始めたとき、どこに着地するかなんてまったく考えもしていなかった。お話というのは作り手がどうこうせずともやがてどこかに行き着いてくれるのだと思っていたのかもしれない。(それはひとつの真理でもあるのだけども、その真理へ到達するためには自分が物語の苗床になるくらい養分を、つまりたくさんの思考を重ねないと可能性は薄く思う。)

事実、わたしはそれまでにいくつか短い漫画を描いたことがあったけれど、どれも終わり方に苦労するなんてことはなかった。なぜならそれらのお話がごくごくシンプルな形式をしていて、物語の法則にそうと知らぬまま従って書かれていたものだったため、自然と流れ着くことができたからだった。

TFはなかなかに面倒な構造をしているし、登場人物みなが個性つよつよで、見かけこそ異世界ファンタジーで伝説だ封印だなんだと展開するけれど理不尽に感じていることや窮屈に思うことなどがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。つまりオリジナリティーが強い。畢竟どこにもお手本はなく、終わり方は自分で用意する必要があった。

 

そのことをはっきりと自覚したのは、2部が完結してから半年後か一年後か。たしかなことは覚えていないけれど、それほど時間は経っていなかったように思う。

そしてその自覚は同時に、この状態のままでは物語の完結どころか3部を書き始めることすらも厳しいぞとわたしに突き付けた。

 

突き付けられたわたしはどうしたか。

TFと向き合うことから逃げ出した。

 

自分の力不足はずっと感じていたし、物語を終わらせる力をつけたいとも思っていた。かっこよく言えば修行に出ていたということになるけれど、わたしは目をそむけ続けていたように思う。

長編、中編、短編、いくつかを書いた。映画やドラマも漫然と楽しむだけでなく、構成などを意識的に見るようになった。引き算の大切さ、遊んでよいところ、隙の作り方、……それらが自分にも扱えるかはわからないけども少し気づけるようにはなった。

 

そんな折、ちょうど去年のいまごろ、長編をひとつ書き終えた。久しぶりに長編を完結させることができて、わたしのなかのスイッチが入った気がした。

そろそろTFに戻ってよい頃合いなんじゃないかと。

 

……戻れば、設定を見直すことも含めた全面大幅改稿になることは避けられない。1部などは特にどれだけ原型が残るかもわからない。

でも、できればそれはしたくない思いもあった。というのも、このお話は友達と作り始めたものだから設定はすべて残したかったし、いま公開しているお話を読んでくれた方だっている。せっかく大切な時間をいただいて読んでもらったものなのに、まったく書き換えるなんて……、いやもうここの思考に立ち戻るといまでもやはり心は揺らぐ。とても揺らぐ。

とはいえ完結させるには作り直すしか道はない。

たとえば未完のままでもいいから前のほうが良かったと言ってもらうには、最後まで書ききらなければその地平には立てない。そのためにいまのお話が木っ端みじんになって面影が消えてしまったとしても、書ききらないことには始まらない。

そう、去年の秋ごろに思い至り、決意した。

(去年……2022年は3月から9月までの約半年間、まともに歩けないくらいすっかり体を壊してしまって苦しかったから、それもまた心をかためる助けになったのかもしれない。ほんとうにやりたいこと、書きたいものは何なのかを考えられた気がする。もはや終活の一環なのか……)

 

物語の骨組みを解体して、残したい梁を選び取って、新しい建材も導入して、罪深い趣味嗜好を存分に練りこんで、焦らず、じっくりと吟味している。

そもそもの設定のアラが多すぎて辟易したけれど、それらのアラは、かつての自分がやりたかったけれどうまく表現しきれなかったことの痕跡でもあるので、拾い上げて組み立てなおしたりもしている。ものによっては業が深くなった部分もあり、すでに満足しかけている。たまらんですわ。まだほんのわずかしか本文なんて存在しないのに、プロット帳を広げてあれこれ語りたくなるような浮付いた気持ちにもなっている。できないので、この記事を書いている。

 

本文を公開できるのがいつになるかはまだわからないけれど、これがもう最後だから、しっかりと書いていこうと思う。

もしかしたらすべての物語を含めて最後になるかもしれない。そんなふうにも、いまは思っている。

 

そういうわけで、「THE FATES」全面大幅改稿します。

 

 

創作とわたし

もうかれこれ、あいだに数年お休みしていたこともあるけれど、30年ほど物語を創作している。はじめはイラストと設定、オバQもどきが主人公の4コマ漫画。それが半年後にはコマ割りのある少女漫画になって、さらに数年後には地盤沈下した日本を舞台にアヤカシと人とが戦う小説を書いていた。いまも懲りずに恋愛とも任侠ともよくわからない小説を書いている。

わたしにとっての平成は創作とともにあった。そして令和もおそらくそういうことになる。

 

創作に出会う前の自分が何を見て、何を考えていたのか、いまのわたしにはもはや思い出せなくなっている。どんなものが好きだったのかすらわからない。幼かったからではない。わたしの自我は創作とともに生まれたのだと思っている。

ぼんやりとした記憶を思い返すと、わたしはわたしが見る世界をいつもわたしに取り憑いた霊のような角度から眺めていた。肉体は動いているけれど、わたしとの距離が遠いせいかどこか緩慢で、感情の反応もひどく鈍かった。

じゆう帳にはじめて書いた少女漫画は、人魚界からきた少女が人間の姿をとって、学園で起こる事件を淡々と解決していく物語で、なにをどうしたらそうなるのか、いまから考えると逆にそのほうが難しいだろうと思うくらい一切盛り上がりのないものだった。

それでもわたしはその時はじめて、自分にも肉体があること、自分も息ができることを理解した。

わたしとは関係のない、空想の中の物語であっても、それを書くことでわたしはわたしを捉えていた。つまり書かれたものは、切ればゴミになる爪なんかより、ずっとわたしなのだった。

そのことに気づいた瞬間、わたしはとんでもないものに手を出してしまったものだとゾッとした。けれどもう後戻りはできない。書くことで得られる生きている心地を知ってしまったわたしには、書かないという選択肢はあまりにも酷で、実質、書き続けるという道だけが未来へ向けてスッと伸びていた。

わたしはそのことを素直に受け入れられなかった。その道がどんな道かということではなく、道がひとつしかないと感じてしまうこと。それはとても息苦しい生き方だったからだ。

そこから逃れようと長い間もがいた。創作がないと生きていけないなんて口が裂けても言いたくなかった。服を着替えるように、創作する自分と創作しない自分を選びたかった。さらに自分の身ひとつですっくと立てることに強くあこがれた。可能性を増やすために勉強をした。就職氷河期だったので就活もたくさんした。そうしてどうにか会社員になって、これでわたしは創作という杖がなくても歩いていけるはずだと、…そう信じられたのはほんの数ヶ月のことだった。

ある日の会社からの帰り道、大学時代の部活の先輩に街角で偶然出会った。先輩は開口いちばんこう言った。

「もちちゃん、向こうが透けて見えるよ」

人は精神と肉体で構成されていると思っていたけれど、そのほかに理性の殻をかぶった「我」というものがあるのだと体感した。わたしはわたしの「我」を押し通した結果、精神から遠ざかり、その精神と繋がりの深い肉体とも疎遠になっていたらしい。

そのころのわたしは、固形物を食べることができず、20分おきにトイレへ行かねばならず、真夏なのにウールのカーディガンと毛布をかぶって仕事をしていた。なにかがおかしいと気づいていたけれど、受け入れたくはなかった。けれども、どうにかごまかして生きていきたかった「我」は、そのとき丸裸になってしまった。

先輩の言葉はわたしにとって最後通告で、空からつうとおりてきた蜘蛛の糸だった。自分でも驚くほどすんなり観念したわたしはその糸に手をかけて会社を辞め、賃金と引き換えに身軽なフリーターとなり、思考が仕事に邪魔をされない職種を選んで、ふたたび物語と歩む道を見つめることにした。

 

わたしがわたしでいるために書くという理由は、わたしを取り巻く小さな社会にとってはもちろん、わたしにとっても弱く、強固さを求めて仕事にしたいと考えたこともあった。とくに30歳前後のころは、人生の舵をどう切るか、どう切るにしてもいましかない、という気持ちがあってとても焦っていた。すでに結婚はしていたけれど様々な理由から夫婦ふたりきりで生きていくと決めていたので、知らず知らず肩身の狭さを感じていたのかもしれない。

挑戦できることにはできるかぎり挑戦した。Web小説界隈の創作企画に参加したり、長編小説を自分のサイトで定期連載したり、短編長編問わず公募に出したり、同人誌を作ってみたりもした。甲斐あって、わたしの作品を見てくださるかたは増えた。公募も賞は取れなかったけどすこしよいところまで残ったこともあった。嬉しかったし、報われた気持ちはもちろんあった。けれどそうするほどに、その道先にわたしにとってのゴールがないことが、かえってはっきりとしてしまった。

 

わたしにとって書くということの目的は、コンパスの針のように、どこまで円を大きくしようともはじめの一点に突き刺さったままわずかに動くこともなかったのだった。わたしが息をするため。それ以上でも以下でもない。

 

はじめから、わかっていたことだった。わたしにとって書くことはどこまでも自分のためなので、一切の器用さや柔軟性はもたない。…わがまま、なのだろう。だからそれを悪だと思っていた。書くならば、ひとりでも多くの人に受け入れられ、よい評価をもらい、階段が続くかぎり上を目指すべきだと考えていた。けれどそれはこの社会における正しい考えのひとつであって、わたしが書いて生きるなかで辿り着いたものではない。その正しさはわたしが求めるものでもなければ、わたしを救ってくれるものでもなかった。

どちらのほうが正しいとか、優れているとかいうことではなく、この社会には様々な考えがあり、自分のうちから生まれた感情や考えを大切にしてよいということを、ほんとうにごく最近、それこそ元号が令和へ変わろうかというころになってようやく、ぼんやりと信じられるようになってきた。

歳を重ねるにつれ、関係が途絶えたり体力が落ちたり身内が亡くなったり失うことばかりだと感じるとともに、他者に対してはもちろん自分に対しても「〜ねばならない」というような思考から自由になっていくように思う。許せるのだろう。失い続けることで、いま在る、そのことの価値に気づく。

 

思い返せば、幼少のころから友達100人できるかなワクワクという子どもではなかった。ひとり遊びばかりして、みんなに置いていかれても「まあいいか」と砂遊びをしている子どもだった。人は変わる。わたしも学生時代と比べて体形だけではなく人格も丸くなったらしい。けれどどうしても変わらない部分もある。それは努力でどうにかできることもあるかもしれないけれど、おなじだけ、どうにもできないことでもあるということだと思う。雰囲気で書いてしまえば、「性・さが」と呼ばれるところなのかもしれない。そしてその「性」に促され踏み出す一歩を運命と呼ぶのもいいかもなんて、他人事のように鼻歌でもうたって考えている。

 

書くことへの抵抗はまだいくらか残っている。抗いは苦しいが、いとしさにもなる。このまま薄れていつかなくなってしまうかもしれないなら、いましばらくはその葛藤を楽しむのもいい。これが運命なら、書くことに対するすべての選択はわたしにとって必要なものなのだから。

 

…と長々書いてしまったけれど、まあ結局、書くことが楽しいということ。そういうお話。

はじめに

うたうことが好きで、以前は折にふれてカラオケへ行った。そうすると次の曲が始まるまでの合間や、ドリンクを注ぎに個室の外へ出たときなどに、ほかの部屋から見知らぬ人々の楽しげな歌声が聞こえてくる。

わたしは、すっかりいろんな味がするようになってしまったプラスチックカップにアイスコーヒーを注ぎながらそれを聞くのが好きだ。知っている曲だと触発されて部屋へ戻ってから歌うこともあるし、知らない曲でも、賑やかな様子に心はおどる。

歌声はどれもわたしへ向けられたものではない。けれどわたしは勝手に受け取り、勝手にリズムを刻んで歌う。まじわることはないけれど、無関係の世界でもない。案外、心地よい距離感だと思う。

 

ここ数年、書いたものを公開することについて、ずっと引っかかりを覚えている。特に、物語というかたちを持たない、なけなしの娯楽性もない、わたしが感じたり考えたりしただけの言葉や文章の位置付けがわからない。わからないのでそういったことは公開せず、けれども意識の端のほうで答えを探し続けていた。

 

いま、こうやってなにかしらの文章を書き連ねているけれど、答えを見つけたというわけではない。でも、カラオケでほんの5秒聞こえてくる誰かの歌声があるように、誰に何を伝えたいわけでもない、ときおりふと洩れ聞こえてくる文章があってもいいように思えてきた。

書きたいと思うものを書くことに、それ以上の理由や意味づけが必要なものだろうか。ただ、そう思う一方で、自分が心や頭で思うだけではなく「外側」へ向けて発言することの責任は忘れずにいたいと思う。

 

書くことで見つかる答えもあるかもしれないから。